思わぬ同居人 8
玄関のドアを開けて室内に入ると、お袋の甲高い声が響いた。
「ハニちゃん、心配したのよ・・・・遅かったから痴漢にでも遭ったのじゃないかって。最近変質者がこの辺をうろうろしているから・・・・・」
「おばさんごめんなさい。学校でお喋りをしていたら遅くなって、それにスンジョ君が・・・・」
「コンビニの帰りに偶然会っただけだ。」
ヤバイ! お袋にどんな誤解を取られるのか、アイツの言葉を途中で遮った。
「お兄ちゃんが?・・・・あら!まぁ・・・・痴漢に襲われるといけないから心配で迎えに行ったのでしょう?」
「誰が!こんなヤツに、痴漢をする物好きはいないだろ!部屋に読みかけの本があるから。」
「お兄ちゃんったら、照れているわよ。痴漢に遭わない様に、ハニちゃんとお兄ちゃんが付き合えばいいのよね。」
「おばさん・・・・・そんな・・・・」
こっちの気持ちも知らないで、勝手なことを言うなよ! この家の中で問題を起こしているのは、いつもお袋なんだから。
いい加減にしてくれよ。
オレの人生に平穏という事はないのだろうか?
お袋だけでも面倒なのに、コイツがオレの人生に関わってくことが面倒で怖い。
部屋に籠って、ベッドで本を読んでいても気持ちが入って行かなかった。
ふと耳を澄ますと、音の外れた歌声が聞こえて来た。
階段を上がるハニの足音。
上がり切った所のフリースペースに置かれているソファーに躓いたのか、大きな音と痛みをこらえているのであろう呻き声が聞こえて来た。
「バーカ・・・・」
スンジョは誰もいない部屋の中で独り言を呟いた。
他人に何かあっても気にならないスンジョだったが、どうして母の言葉を聞いてハニを迎えに行ったのか自分でも分からなかった。
階段を上がる足音、ソファーに躓いて痛みをこらえている声も、まるで耳を澄ませて心配をして聞いているような自分に頭を振っていた。
いつの間にか増えて来た、母以外の女性もの。
洗面台に当たり前のように置かれているピンクの歯ブラシと花柄のタオル。
バスルームに入れば、甘い香りのシャンプーやボディソープ。
バスルームからシャツを着ないで出ていた自分が、シャツを着て出てくる習慣が付いて来ていた。
弟のウンジョが出た後に風呂に入ると、明日の為に湯を抜いて周囲を洗っていた
今では自分が出た後に、アイツが入る為に湯を抜いて洗う。
部屋のドアをノックして
「風呂、空いたぞ。」
そう言うのが日課になっていた。
毎日、風呂が空いた時に部屋の前に行くと聞こえる声。
誰か友達と話をしているのが良く聞こえて来る。
今日は誰とも話をしていなかったのか、ノックをして声を掛けるとすぐにアイツは出て来た。
「ありがとう。」
そのたった一言のありがとうと言う言葉が、自分の心の奥に響いた。
どうってことのないその一言が、なぜかとても大切なひと言のように聞こえた。
「もう一つ・・・・ありがとう・・・」
「えっ?」
「痴漢から守ってくれて・・・・・・・」
顔を赤くして言ったアイツの一言。
考えて見ればオレは今までに<ありがとう>なんて言葉を誰にも言ったことがないし、言われたことがなかったことに気が付いた。
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