あなたに逢いたくて 34
ハニの毎日の楽しみは、愛娘のスンハの成長を見ること。
そんなに毎日見ていても、急には成長する事は無いくらいは判っていた。
初めての、たぶん最初で最後の出産で育児になるのだから、小さな発見も見逃さない様に覚えておいて、物心ついたらスンハに教えてあげようと思っていた。
「ハニさん、しっかり母乳も飲めて体重も増えているので、成長に問題も無く順調ですね。」
「キム先生ありがとうございます。初めての子供なので、判らないことばかりなんです。キム先生や、おばあちゃんがいなかったら、心配でスンハと一緒にきっと泣いてばかりいたと思います。」
産まれてから3ヶ月。
春とはいえ、小さな島で周囲からの海風で、まだ外気温はかなり低い。
2ヶ月前から、毎朝二往復出ている船便で、半島の大学に通い始めていた。
離島のため、早朝に島を出て夕方の便で戻ってくるのは大変だった。
朝起きると直ぐに授乳をし、時間が空いている時には搾乳をして冷凍保存をしていた。
それを、学校に行っている間にギミに湯煎をしてスンハに飲ませてもらっていた。
「でも、子供って可愛いですね。人の欲とかをまだ知らないから、どんな人にでも笑いかけてくれて、ハニさんがいない時に、ギミさんと一緒にスンハちゃんを見ていると、僕も早く結婚して子供を持ちたくなりましたよ。」
ボタンが気になるのか、スンハの小さな手がキム先生の白衣のボタンを握り、一生懸命にそれを引っ張っていた。
「先生もあと一年で、服務期間が終わって半島に帰るんですよね。どちらなんですかご実家は・・・」
「僕は、ソウルです。」
ソウル・・・・・逢いたい・・スンジョ君に逢いたい・・・・
「ハニさん?どうかしましたか?」
元気に振る舞っているものの、ハニはまだ時々スンジョを思いだしてしまう。
忘れているつもりでも、忘れることがなかなか出来ない。
ソウルの事やハニがよく知っていた芸能ニュースは全く伝わらないこの離島での生活も、半年以上経っているのに一日とスンジョを忘れた日はなかった。
「ゴメンなさい。なんでもないです。」
「あの・・・・・・まだ亡くなられた御主人のことを忘れられないのですか?」
亡くなった・・・・・・自分でそう言ったわけでもなく、お腹の大きなハニがこの島に来てから一度もお腹の子供の父親らしい人が訪れた事が無かったから、人々はそう話していた。
亡くなったと、そう思わないとハニは自分自身がスンジョのことを諦め切れなかった。
きっと今頃は、スンジョもヘラと結婚して、子供が産まれるくらいだろうと思っていた。
「忘れないとね・・・・・・亡くなった人をいつまでも思い続けていても、どうにもなら無いことくらい判っているのだけど・・・・・」
「あと、一年で僕は軍務が終わって帰るのですけど・・・・・・その・・・・一緒に行ってくれませんか?」
「えっ?」
「結婚して欲しいとずっと思っていました・・・・返事は、直ぐにじゃなくて良いです。僕が服務を終えてソウルに帰る頃には、看護師の国家試験もありますし、試験はソウルのどこかの大学が会場なので・・・・その・・・・・・・・」
考えてもいなかった、キム先生はいつも私の看護学科の勉強を教えてくれていたのに、ただ親切で教えてくれていたと思っていて、先生の気持ちに気づかなかった。
そうだよね。
忙しい診療所でもないけど、キム先生は仕事で来ているのだから、やらなければいけない事だってあったはずだから。
「夢を・・・・夢が実現できるまでは誰とも結婚をすることは考えられないんです。それに、年老いて神経痛とかあるおばあちゃんを、たった一人にしてこの島に残してはいけないし・・・・・・・」
「ギミさんは、僕が説得しますから・・・・・返事はまだ先で良いので、時間をかけて考えてくれませんか?スンハちゃんの良い父親になりますから。」
キム先生にプロポーズを受けるとは思わなかった。
おばあちゃんが診療所にいない時で良かった。
おばあちゃんがプロポーズを聞いたら、また「頼りが無さ過ぎだから、大切な孫娘と曾孫を任せられない」と言って、キム先生はまたオロオロとしてしまうに違いない。
どうしよう・・・・・・・・
ハニはスンハの寝顔を見ながら、スンジョの顔を思い出しそっと机の引き出し置くに隠していた写真を手に取った。
たった一枚、二人で写した写真。
高校の卒業式で一枚だけと言って、無理にお願いをして撮ってもらった。
スンジョ君は意地悪な顔で笑っているのに、私はビックリした顔でスンジョ君を見ていた。
たった一枚しかない大切な写真なのに、馬鹿みたいな自分の顔でも、この時が幸せだったと思えた。
片想いでも、いつもスンジョの姿を見ていられたのに、両想いになって結婚の約束までしてくれたのに、顔を見る事も電話で声を聞く事も出来ない。
この写真を撮った後に、1クラスと7クラスが同じ会場になった謝恩会。
スンジョの忘れたい過去の写真を、沢山の同級生の前で披露して怒らせてしまった。
この時に初めてスンジョとキスをした。
イタズラにされたキスでも、この時の唇の感触は忘れられない。
スンジョがひとり暮らしをしている時に、バイト先に手作りチョコレートを届けた雨の日。
体調を崩して倒れ、初めて入れてもらったスンジョのひとり暮らしの部屋。
その時にスンジョと結ばれた。
「お袋には面倒になるから、絶対に言うなよ。」
そう言って一晩一緒のベッドで過ごした。
初めてで怖かったけど、スンジョ君は私が怖がらない様に何度も『大丈夫?』と聞いては時間をかけて優しく愛してくれた。
甘い物やチョコレートが嫌いだけど、翌朝一緒に摂った食事の時に食べてくれて『美味しい』と言ってくれた。
前日から半日しか経っていなかったし、『内緒の付き合いになるけど、自分がハニを守れると自信が付いたら、ちゃんとハニのお父さんに交際のことも話すし、お袋や親父にも宣言する。』そう言って、それからずっと誰もいない二人だけの時は、信じられない程に優しくしてくれた。
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