言えない恋じゃないけれど(スア) 54
あれはキエさんが妊娠初期の頃で、ツワリが酷く本屋の駐車場でしゃがんでいた時だった。
誰かに電話を掛けていたから、そのまま店の中に入るつもりでいた。
「お願い・・・・気持ち悪くて・・・運転が出来ない・・・・」
「仕事・仕事ってそればかりね・・・私はあなたの子供を妊娠してるのよ。仕事と私とどっちが・・・・・・」
話をしながらキエさんは吐いていた。
何度も吐いていたから、出るものも出なくて吐き気だけ。
あまりにも辛そうで、悲しそうでそのままにしておけなかった。
「キエさん・・・・・・」
驚いた表情ではなく、声を掛けてもらった事に安心したような顔を上げた。
その顔は真っ青で目は潤んでいた。
「スング君・・・・みっともない姿でごめんね・・・・具合が悪いのに気晴らしに本屋に来たけど・・・・・」
「どうしたらいいですか?病院に行った方がいいのか、家に送って行った方がいいのか・・・・・」
キエは携帯をスングに渡した。
「病院から帰る途中だったから、戻るのも・・・・・代行に連絡してくれれば・・・タクシーで帰るわ。」
運転代行を頼みタクシーを呼んだけど、そのままキエさんを置いて行くわけにはいかない。
スングは到着したタクシーにキエを乗せると、自分も一緒にタクシーに乗った。
「一緒に行きます。運転手さん、お願いします。」
「スング君・・・・・本屋に用事が・・・・・」
「大した用じゃないから気にしないでください。」
数日前に会った時は避けていたスングが、あのエレベーターの中での出来事以来、キエを労わるような目で見ていた。
「旦那さんは家に帰って来てくれるのですか?」
「子供なのに・・・・・・仕事が好きな人だからね。帰って来ても夜中過ぎよ。自分の妻の体調の事よりも、仕事が優先よ。」
キエの夫は小さ会社ではあるが、信用のある仕事をしている事で、数十人の従業員と忙しく仕事をしていた。
経営者であるキエの夫は、従業員を帰宅させた後も深夜近くまで残務整理をしている。
キエの住むマンション前にタクシーを停めると、スングは一緒に降りて部屋まで付き添うことにした。
「これで二度目ね・・・・・・」
この間送ってからキエの事が気になって、時々スアと一緒に学校から帰らない時は、このマンションの前に立って部屋を見上げた事もあった。
綺麗に片付けられたキエの住む部屋の中に入らずに、今日はキエの具合が悪いから帰ろうと思っていた。
タクシーから降りた時からまた更に顔色が悪くなったキエは、部屋に着くなり嘔吐して足から力が抜けて床に座りこんでしまった。
「大丈夫ですか?服が・・・・・・・・」
「触らないでもいいわ、汚いから・・・・」
そう言われてもそのままにして帰る事はスングには出来なかった。
「着替えを・・・着替えはどこにありますか?」
「寝室のクローゼットから持って来てくれる?」
バスルームに入って汚れた服を脱ぎかけたキエはフラフラとしながら立っていた。 その後ろ姿を見た時、スングは自分の気持ちが抑えきれなくなった。
「キエさん・・・・」
「スング君・・・・・」
下着姿のキエを後ろから抱きしめた。
「服を持って来て。」
「キエさんの旦那さんは知っているのですか?キエさんがこんなに辛そうにしているのに。」
キエの身体に巻きつくようにしっかりと廻されたスングの長い腕。
その腕を外すことなくキエはクルッと身体を回した。
「彼は自分の遺伝子が欲しいだけなのよ。妊娠したら彼は変わるかと思ったけど、変わらなかった。こんな思いをするなら避妊を続ければよかった・・・・・・・・」
「キエさん・・・・・・」
「間違っていると思っていたけど、年も下のスングが好き・・・・・彼と見合い結婚をしなければよかったといつも思ったわ。」
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