あなたに逢いたくて 65
「ハニちゃん、お帰り。さっき、うちの人が連れて来たけど新しい先生が来たよ。男前の先生だったよ。」
ハニがスンハと定期船から降りると、切符売り場のおばさんが声をかけた。
切符売り場と言っても、利用客は買い出しに行き来する住人と釣りで訪れる数人の人しかいない。
形だけの切符売り場が、木を打ち付けただけの箱状の風を凌ぐだけの物。
今まではギミは新しく着任する医師の名前などは事前にハニに教えていたが、何故か今回は何も教えてくれなかった。
「スンハ、おばあちゃんから新しい先生の事を何か聞いていた?」
「何も聞いていないよ。スンハ先に行って、どんな先生か見て来るね。」
「それなら、オンマは大工のおじいさんのオシッコを採って、八百屋のおばあさんの湿布を貼り替えて、魚屋のおばあさんに血圧の薬を届けて帰るからね。おばあちゃんにそう言っておいてね。」
元気に診療所に向かって走って行くスンハの姿を見ながら、ハニは大工のおじいさんの家に向かった。
毎日変わらない時間に、何も起こらない日々。
ハニはフッと笑みがこぼれた。
自分と出会う前に、スンジョが好きだったこんな生活。
都会の流れの速い時間も、人の声も、機械音もしないのどかな島。
聞こえるのは、打ち寄せる波の音と海鳥の声。
時々、風で揺れて木々がすれ合う音。
最初は馴染めなかったハニだが、すべてを忘れたくて逃げるように来た祖母の暮らす島。
いつしか、都会で起きている事も伝わって来ない、この島の流れる時間に幸せだと思うようになって来た。
大好きなスンジョとよく似た娘スンハを見ると、忘れようとしても忘れる事が出来ない事を思い出すスンジョと過ごした日々。
最後に会ってから、毎日必死に過ごして来たから気が付かないうちに三年の月日が流れている。
忘れようと看護師として忙しく働いても、まだハニはスンジョを忘れることが出来ない。それでもハニは、スンジョがスンジョに似合う女性と幸せに過ごし、有能な医師として成功していると信じていた。
「ただいま。」
ハニが、玄関のドアを開けて診療所の中に入ると居間からスンハが出て来た。
「オンマ、新しい先生・・・・・アンニョンって言って来た。なんかね、見たことのある人だった。」
「スンハの気のせいだよ。この診療所に来る先生は三年経ったら帰るんだから、前に来た先生が来ることはないよ。」
「そうかなぁ・・・・・・でもね、スンハその先生に言ったよ。オンマは美人だから惚れたらだめだよ。オンマはアッパを世界一好きなんだからって。」
四歳の子供が言うと、おませな言葉にハニはただ黙って聞いて笑っていた。
「お帰りハニ、新しい先生が見えたよ。スンハやオンマはお仕事だから、ばあちゃんと一緒に夕食の準備をしよう。さあおいで。」
ギミに手を引かれて居間の方にスンハが行くのを見ながらハニは診察室に向かった。
ノックをして診察室に入ると、白衣を着た背の高い男性が背中を向けて立っていた。
その後ろ姿に、見覚えがあって一瞬ハッとした。
後姿がスンジョ君に似てる・・・・・まさかね。
こんな離れた島に来るはずがないよね。
ハニは、半島から買って来た薬やシーツ類をワゴンの上に置いて挨拶をした。
「こんにちわ、初めまして看護師のオ・ハニです。半島に薬を取りに行った帰りに、導尿と湿布の交換と薬のお届けをして来ました。」
スンジョがゆっくりと振り返って挨拶の為に手を差し出すと、薬をワゴンの上に置いてその手に触れようとしてハニは顔を上げた。
スンジョ君!!
「初めまして?忘れたのか、オレを。」
心に響くスンジョの声、自分からスンジョの思いを拒み去ったのに、優しい目でハニを見ていた。
「ス・・・・スンジョ・・・・ペ・・ペク先生・・・・・・」
心に平静を持たせるために、医師の手伝いをする看護師としてスンジョではなくペク先生と言った。
一瞬スンジョの顔が変わったのが判ったが、二人の関係は三年前に終わらせたつもりでいたからこうするしかないと思った。
「どうして・・・・どうして・・・・おばあちゃん教えてくれなかったから・・・・・・」
いつもは赴任してくる医師の名前は、事前にハニにも教えていたが、何故かこんかいはスンジョが来ることは聞いていなかった。
「変わらないな、ハニは。」
三年ぶりに聞いたスンジョの声は心が震えるくらいに優しく、あまりにも温かで今までの思いが溢れそうになって来た。
「そうかな?私もうすぐ27歳になるんだよ。一生懸命勉強して看護師にもなれたし、昔みたいにドジでもなくなったんだから。でも、ペク先生は前よりずっと素敵になったね。私・・・・・・・私・・・・・・」
言葉が思うように出てこない・・・・・・
「聞いたよ、勉強を頑張って看護師の試験に一度で受かったんだってな。」
スンジョがハニを愛おしそうに見る時、少し目を細めて優しくなる瞳は昔のまま変わっていなかった。
大きなスンジョの手がハニの頬が、今はすぐ手が届くところにあると思うと思わず無意識に触れていた。
ハニもスンジョの大きな手が頬をそっと触れて来た時、身体に電流が流れるように感じた。
ハニはそのスンジョの手からそっと離れるように、後ろに下がった。
「私・・・・・結婚し・・・・・・」
「キム・ジョンスから聞いたよ。看護師になるための試験も、すごく頑張ってしていたと教えてくれたのも彼だよ。それに、結婚はしていないんだろ?三年間また一つ屋根の下で生活をするんだ。スンハもオレと似ているしハニとも似ている。このままずっと隠し通せる事はできないんだ、本当のことを言ってくれないか?」
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