未来の光(スング) 最終話
静かな病室で点滴の輸液が落ちるのを見ていると、自分がこんな立場になるとは思わなかった。
目を閉じて血の気のないハニを、こんな不安な気持ちで見ているのも初めてだ。
「う・・・・・」
「気が付いたか?」
「スンジョ君・・・・・・」
「もうすぐ来るから待っているんだぞ。」
「ゴメンね・・・・約束守れない・・・・・」
「ただの風邪だ。風邪をこじらせただけだ。もうすぐ優太と優理(ゆうり)と優美(ゆうみ)が来るから。初めて見るおばあちゃんがそんな元気のない姿では可哀想だろう。」
日本人の優花と結婚したスングは、母の危篤に優花と三人の子供を連れてパラン大病院に来ることになっていた。
優太は一度だけ韓国に来てスンジョとハニとは会っているが、双子の優理と優美が生れてからは、医師として働いている二人は子育てもあり、訪韓することが思う様にできなかった。
グミが亡くなってから、ハニはスンジョがいても気力を無くし、実の母のように慕っていた姑のグミを想って過ごしていた。
「少しは何か食べるか?」
「食べる気がしないの・・・・」
そんな時に勢いよくドアが開き、目がくりくりと大きな5歳くらいの男の子が入って来た。
「おばあちゃん!優太が来たよ!」
目は優花とよく似て大きいが、話し方や少しやんちゃな所は小さな頃のスングとよく似ていた。
「優太、おばあちゃんは病気だから静かに入らないといけないでしょ?」
優太を追いかけて来たのか息を切らした優花とスングがそれぞれ2歳くらいの双子の女の子を抱いて入って来た。
「スング・・・・優花さん・・・・」
「優理と優美を連れて来たよ。どうしたんだよお袋、元気になって親父とまた家で暮らさないと、お袋しか愛せない親父を置いて一人でどこに行くつもりだよ。」
何年かぶりに父と母と息子は対面するが、妻の看病でやつれた父の顔を見て、母がいなくなればこの父も付いて行ってしまうような気がした。
「仕事は・・・・いいの?」
「予定日の妊婦が何人かいるけど、オレと優花がこっちに来ている間は代診を頼んでいるよ。そんなことは心配しなくてもいいから、早く良くなれよ。」
「・・・・・スンジョ君・・・・家に帰りたい・・・・帰りたい・・・・」
風邪をこじらせたハニは肺炎を併発し、日々弱って行く様子をスンジョはただ見ていることしか出来なかった。
6人の子供たちとその子供の孫たちは、最後の挨拶をすでに終えて、スングだけがまだ挨拶が出来ていなかった。
『もう助かる事が出来ないのなら、最後は父と母だけにしてあげたい』と、スンハが長女として兄弟たちに早目に母と会っておくようにと話していた。
「おばあちゃん、優太と遊んで・・・お家に行って優太と遊んで・・・・」
小さな手でハニの腕を掴むと、その温もりにハニは弱々しく微笑んだ。
3年ぶりに会う孫は、ほんの数回会っただけの祖母が大好きで、電話の向こうでよく話をしていた。
「スング・・・来ていたんだ。優花さんに、優太君と優理ちゃんと優美ちゃんも・・・・母を家に連れて行く手配が出来たから。先に家に行っていてくれるかな?」
「スンハ姉さん、お袋を家に帰してもいいの?」
「アッパとオンマが望んだ事。病院ではなくて家に帰って最期を二人で過ごしたいって。」
看護師が点滴を外しているのを見て、目頭を押さえている父を見たのはスンハもスングも初めてだった。
自分達兄弟は両親の様な夫婦を理想としていた。
最期は一緒と言っていても叶う事が無い事は誰もが判っていたが、自分たちの両親だけはそれが叶うのではないかと思うくらいに父が疲れていれば母も疲れる姿を目にしていた。
「ハニ・・・・・家に着いたよ。ここはオレ達の寝室だ・・・・・」
「スンジョ君・・・・・・眠りたい・・・待ってる・・・・」
「オレもすぐに行くから・・・・・・・」
スンジョとハニの寝室の外から聞こえる、優太と優理と優美が笑っている声。
その声の方をスンジョが見た時、ハニが細くなった手でスンジョの手を掴んだ。
「どうした?」
スンジョの問いに、もうハニは何も応えない。
自分の手を掴んでいるハニの手首に触れて、鼻に手を翳しても何も伝わって来ない。
「ハニ・・・・先に行って待っていろよ。オレが行く前に他の男と一緒にどこかに行くなよ。」
「優花、親父にコーヒーを持って行くから淹れてくれるか?」
「このコーヒーね。お母さんみたいに上手に淹れる事が出来るしら・・・・・」
「優花のコーヒーは、お袋と同じ味がするんだよ。この香りを嗅いだらお袋も少しは持ち直すかもしれないし、親父も元気になるだろう。」
スングは優花がコーヒーを淹れると、それを持ってスンジョとハニの部屋をノックした。
「親父?入っていい?」
耳を澄ませても返事は帰って来ない。
ドアに耳を当てても、物音一つしない。
「パパァ~僕もおばあちゃんの所に行く。」
優太は父を押し退けるようにして、スンジョとハニの寝室のドアを開けると、その姿に優太はその場から動けなかった。
目を閉じて静かに眠るように動かない母の手を取って、父はその母の頬に手を置いて顔を抱きかかえるようにして、椅子に腰かけたままベッドに頭を置いていた。
「優太、ママの所に行って・・・・・スンハおばちゃんに電話をして貰いなさい。」
スングは顔を上に向けて目頭を押さえた。
親父・・・・お袋・・・・一緒に逝ったんだ。
お袋が迷子にならない様に、直ぐに付いて行ったんだ・・・・・・・
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2024.05.25 04:17