思わぬ同居人 96
「土曜日なのに、出かけるのか?」
「はい、休学延長をして暫くテニス部に行かないので私物を取ってこようかと思って。」
「夕方には帰って来るよな?ギドンが話しがあるって言っていたから。」
「はい・・・行って来ます。」
オレの顔を見ようとしないお袋は、今のこの状況が夢であって欲しいと思っているのだろう。
「お袋・・・・昨夜は言い過ぎた・・・・」
そう声を掛けてもこちらを見ようとしない。
ハニを溺愛していたから、ずっと一緒にいてオレの嫁にしたかったことは判っているが、思う様にならない状況だったから仕方がないと諦めて欲しい。
秋というのに、外は春の様に穏やかで暖かな日なのに、心の中は空洞が風を通っている。
車を運転していても、車の中のオレの心と正反対で、外を歩いている同年齢の人の様に、普通に大学に通って普通に恋愛をして毎日を過ごす事に憧れたことはないが、今は親の仕事を継がなければいけないと言う義務のような気持ちしかない。
他の人たちは、大学が親の希望であっても、自分の進みたい道であっても、まさか人生が終わったように思うことはないだろう。
大学の駐車場に車を停めて降りると、玉砂利がギシッと言う音を立てる。
一歩一歩踏み固める様に、何も考えずに歩いたこの道を、こんな風に足取り重く歩くとは思いもよらなかった。
授業中だからなのか、シンとした部室に入るとロッカーを開けて残っていた私物をカバンに入れた。
少し、コートの方に寄ってハニの球拾いをしている姿を見て行こうと思って歩いていたが、授業中でも練習をしている人の声が聞こえて来るはずが、今日は一つのボールを打っては返している音しか聞こえなかった。
練習をしているのは、4年のギョンス先輩とキャプテンのふたりだけ。
挨拶をして行くべきなのだろうか、今のオレは先輩と話す気持ちが起きて来ない。
それでも、素通りをするわけにはいかず、スンジョはギョンスに声を掛けた。
「先輩・・・」
「おお、スンジョか・・・久しぶりだな、親父さんの具合はどうだ?」
「今は落ち着いていますが、まだしばらくは仕事に戻れそうもないです。」
「そうか・・・・今日は、何かあったのか?」
「部室の私物を取りに来ました。会社の方も今は忙しくて、練習にも来られそうもないので。」
「そうか・・・じゃ、最後にワンゲームだけして行かないか?」
「ラケットもシューズもウエアも、この間来た時に持って帰って・・・・」
ハニを探してもいないどころか、練習をしている人がギョンス先輩とキャプテンだけしかいない。
「球拾いは・・・・いないみたいですね。それに、随分と部員の数も減って。」
「スンジョが来なければ女子が来ないし、女子が来ないから男子も来ない・・・・ハニは、食堂の男と仲良くしているみたいだぞ。」
ハニとジュングのふたりは、ある意味結構有名な組み合わせだ。
そうか・・・ハニはジュングと付き合い始めたんだ。
「ぺ・・・・ペク・スンジョ!あんた、どうしてここにいるのよ。」
「テニス部だからな。」
「そっかぁ・・・そうだった。」
ハニの友達のミナとジュリ。
いつもなら、この二人とハニは行動を共にしているのに、今日は一緒にいないのか。
この時間は、食堂も終わっているから、ジュングとデートでもしているのだろう。
「そう言えば・・・ハニってジュングにプロポーズされたんだって?」
聞こえよがしに話すジュリの声に、聞きたくなくても話が気になってしまう。
まさか受けたりしないだろうと思うのと反対に、もしかしたら受けてしまうのじゃないかと言う思いもあった。
「今日、お洒落していたから、ジュングに返事をするんじゃない?」
それだけ言うと、ミナとジュリはその場から急いで離れて行った。
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