最後の雨 23
無意味にいつまでも大学の研究室に残っていても仕方がない。
久しぶりに他の連中は家でゆっくりと休みたいと言って、もう誰も残ってこの部屋の中にはいない。
ハニが何かしたわけではないが、ハニのすることなすことが今まで以上に気になっていた。
ただ今までと違うのは、その行動にどう対処していいのかが判らないと言うことだ。
からかったり意地悪な言葉をハニに言っていた時とは違う感情が芽生えているのは事実だ。
「まだ遅くなりそうですか?この研究室の鍵を返却する時間が過ぎているんですけど・・・・・・・」
「あぁ・・・・すみません。もう帰宅します。」
研究棟の管理人が、戻って来ない鍵を気にして見に来たのだろう。
研究棟から出て、学生駐車場に向かいながら、女子学生の笑い声を聞くとスンジョは彼らしくなく、慌てて振り返ってそちらを見た。
女子学生は、パラン大で有名なスンジョが行き成り自分たちの方を振り向いたりしたことで、自分たちの事を気にしてくれたと思って、完成のような声を出して騒いでいた。
「スンジョ、お帰り。どうしたのか、ハニちゃんが大学から家に帰って来て、まだ一度も部屋から出て来ないんだけど見て来てくれる?泣いていたみたいなの。」
「授業に疲れて、昼寝でもしているんじゃないか?」
「まぁ!冷たいわねぇ。家に帰って来た時に、何か思い詰めていたみたいなのよ。看護学科に途中転入だから、何かあったのかもしれないじゃないの。」
「判ったよ。着替えるから、そのついでに様子を見てくるよ。」
お袋はハニの顔色の変化は読み取るが、オレのこの気持ちが何なのかも読み取っているのだろうか。
部屋のドアを開けて中に入ると、ハニは採血練習の貸し出し用の練習キットを机の上に広げて、動く事もしないで考え込んでいた。
部屋のドアを閉めた音で、スンジョの気配に気が付くと、目を輝かせてスンジョの方を見た。
「お帰り!久しぶりに早く帰って来てくれてありがとう。」
まるで迷子になった子供が母親と会えたように嬉しそうな顔をしてスンジョに笑いかけた。
「何がありがとうだよ。採血の試験がクリア出来なかったのか?」
「ど・・・どうして・・・どうして知っているの?」
「そこにある物を見れば判るだろう。自分の腕で練習をするのか?」
「ううん・・・・不器用だから自分の腕では出来ない。」
スンジョがシャツをまくって腕を差し出した。
「えっ?」
「オレの腕を使えよ。」
「いいの?」
信じられないと言った顔で見ているハニは、いつもオレが困るのは自分が問題を起こした時だと言っていたからだろう。
今まで一度も、オレから何かを助けると言ったことはない。
「ほら・・・・オレの気の変わらないうちに練習をしろよ。」
恐々とスンジョの腕に触れるハニの手は、まるで片想いの女の子が、憧れの男の子の腕に触れるように緊張をしていた。
「腕が疲れる。動かない様に、ちゃんとオレの腕を持てよ。」
「だって・・・・・・恥ずかしいんだもん、スンジョ君の腕を触るのは。」
「何が恥ずかしいんだ。オレ達、結婚している夫婦だろ?腕を触るよりももっと恥ずかしいこともしているだろう。」
平気な顔をしながらいつものように話すと、赤い顔をさらに赤くしているハニを見てからかうとやっぱり気持ちが晴れてくる。
差し出したオレの腕を持って、注射針を刺すだけの事なのに、ガチガチに緊張をしているハニを見ていると、久しぶりに笑えて来そうだった。
「何を緊張してるんだよ。」
「だって・・・・スンジョ君の尊い腕に針を刺すなんて・・・・恐れ多い・・・・・・・・。」
「オレの腕なんて尊くないよ。恐れ多くても何でもいいから、練習して早く採血の試験をクリアしないとな・・・・・」
「うん・・・・・ギョルに頼んだら、血管じゃない所に刺すから練習は御免こうむりたいって。痛い思いは本番に一回だけでいいって・・・断られたの。ギョルってね、偶然なんだけどいつも私とコンビを組むの。今は男の子が看護師になるなんて看護学科に行ってから知ったの。」
スンジョの表情が一瞬変わったことにハニは気が付いていなかった。
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