最後の雨 49
週末のペク家は、笑い声や楽しく話す声が珍しく聞こえない静かな夕方を過ごしていた。
「なんだか、ハニちゃんがいないと、話す事もないし、退屈で料理をする気も無くてつまらないわ。」
「ママ、僕がママの作ったお菓子を食べるから。」
グミはウンジョと向かい合ってお菓子を食べているが、ハニがスンジョと旅行に行っただけでも寂しくて仕方がなかった。
「ママ、ハニちゃんはスンジョの奥さんだよ。ママに付き合わせてばかりじゃ、スンジョも面白くないだろう。」
スチャンもここのところの息子夫婦の様子が可笑しいのは薄々気が付いていたが、それを口に出してはいけないと思っていた。
「ママ、電話だよ。」
「動きたくないわぁ~、ウンジョが出てよ。」
ハニがいないと何もかもやる気の出ないグミの病気が始まったとブツブツ言いながら、ウンジョは鳴り続ける電話に出た。
「もしもし・・・・・・はい、そうです。」
ウンジョの話し方の様子が可笑しいことに、グミもスチャンも何か嫌な予感がした。
「どうした?」
いつもと違って引きつった顔のウンジョは、父スチャンの方に受話器を無言で差し出した。
「警察だって・・・・・何だかわからないけど、ペク・スンジョとオ・ハニはそちらの家族ですかって・・・・・」
「警察? 何かあったのか?」
「事故?まさか・・・・・誘拐とか?」
家を出る時は元気だった二人を思い出すと、グミばかりではなくスチャンもウンジョも不安になって来た。
耳を澄ませてスチャンが話していることを、聞いていてもこちらは受けるだけの返事で相手が何を言っているのかさっぱりとわからない。
「すぐにそちらの病院に向かいますので・・・・はい、はい・・・・・それじゃあ、お願いします。」
受話器を置いて振り返った蒼白なスチャンの顔で、良くない事が起こったのだとグミは気が付いた。
「パパ・・・・何があったの?」
「スンジョとハニちゃんに何があったのかは詳しいことは分からないが、スンジョとハニちゃんが入院したんだ。」
「入院?」
「ワシはギドンに連絡を取るから、ママはスンジョとハニちゃんの着替えを用意して。」
一泊の旅行だから、着替えも泊まる分だけしか持って行っていない。
「秘書に連絡をして明日は会社を不在にするから、緊急の連絡先や仕事の指示を出してすぐに現地に向かうよ。」
「・・・私が・・・・・私が行くわ。」
「ウンジョの学校があるだろう、ママは家にいて連絡を待っていてくれれば・・・・・・」
「いいえ!私が行きます。だってパパは長距離を運転する事はドクターストップでしょ?食事は冷凍にしてある物を食べれば数日は大丈夫だから、私が行って来ます。」
グミはスンジョとハニが結婚しても、ハニに何か起きると自分の息子よりも嫁であるハニが第一になる。
それがこのペク家で、他の家庭とは違って嫁姑の問題が起きない理由の一つでもあるから、スチャンはそれを止めることはしない。
「それなら、ギドンに一言だけ伝えて来るから、現地でのことはママに任せたよ。」
グミは最後の言葉を聞くよりも早く、連絡のあった病院に向かう準備を始めた。
「状況説明は大筋解りました。一応調書にサインと押印をお願いしたいので、奥様が目を覚まされましたら出頭してください。」
「お手数をおかけしました。」
ここまで大きくなるとは思わなかったが、スンジョは警察官に言葉を掛けて、病室で眠っているハニの傍に行った。
「ハニ・・・ゴメン。ここまで思い込ませて・・・・・・自分の心の問題なのに、ハニにこんなことまでさせる気持ちなんてなかった。ハニを見ていなかったよ・・・・・海中でハニを探している時の、あの長い時間よりもハニはもっと長い時間、苦しんでいたんだよな。ハニを見つけて抱きしめた時に、随分と痩せていることも初めて知った。ハニはオレに関わることで不安になると、すぐに食事を摂れなくなるほどに悩むことは知っていたのに・・・ゴメン・・・・」
古い診療所の病室の中は、古い時計の長針がカチカチと言う音と、ハニの落ち付いている呼吸だけしか聞こえない空間だった。
俯いて両手でハニの点滴をされていない方の手をしっかりと握る事しか、今のスンジョには出来なかった。
「ス・・・・・・・」
「ハニ?」
ハニの声が聞こえたと思って、顔を見るが眠ったままで譫言(うわごと)を言っていた。
「どうした?苦しいのか?」
「・・・・さよなら・・・・・・したい・・・・・」
最後の言葉にスンジョの胸は、ギュゥッと締め付けられるようだった。
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