最後の雨 57
ギョルの言葉にシンと静まった室内、スンジョは無言で椅子から立ち上がった。
「おい、どこに行くんだよ。」
「あんたに言う必要ないだろう、トイレだよ。」
全く表情を変えずに部屋から出ようとしたスンジョの方に近づき、ギョルは腕を引っ張ると正面から目を見て顔を睨みつけた。
「前から思ってたけどさ、お前はアイツの事を好きじゃないだろう。」
ギョルの掴んでいる手を掃って、スンジョは部屋のドアを開けた。
「おい、待てよ!」
後を追おうとするギョルが誰かに服を引っ張られた。
「何だよ!」
「ギョル、何を熱くなってるの 、ペク・スンジョはハニの夫でふたりは夫婦だよ。夫が妻の様子を見に行ったのよ。」
「見てるかよ、アイツのこと。デレデレと鼻の下を伸ばして、全く自分の妻を無視して。」
場の雰囲気が可笑しくなって来たからか、さっきまで騒いでいた人たちもコソコソと小さな声で話し始めた。
「ペク・スンジョさ・・・・・・ずっとハニの事を見てたよ。」
「見てた?」
「トイレって・・・・ハニの様子を見に行ったのよ。彼は全然飲んでいないわ。」
確かにスンジョの前に置かれているのは、ビールでもなくソフトドリンクだ。
「ハニ、ハニ。大丈夫か?」
「気持ち悪い・・・・・・・・気持ち悪いけど、吐けない・・・・・・・」
「ちょっと待っていろ、今そっちに行くから。」
さすがにハニ一人が入っているだけの女子トイレでも、いきなり入るわけにはいかない。
スンジョは近くにいた女性店員に声を掛けた。
「すみません、中に妻がいるんですけど、具合が悪いみたいですが、他に女性が入っていないか見てもらえませんか?」
「ちょっと待ってくださいね。」
女性店員が中の様子を見て、誰もいないことを告げるとスンジョは中に入って行った。
「ハニ、どこだ?ドアを叩け・・・・ハニ・・・・」
ドアが多くてとてもどこにいるのか判らないが・・・・・苦しそうに呻いている声がわずかに聞こえた。
「ここか?ハニ、鍵を開けろ・・・・慌てなくていいから、開けたらオレが楽にしてあげるから。」
カチッという音がして、ドアが少し開いた。
「いいか?スカートのベルトを緩めるぞ。」
コクンと頷くとスンジョはハニのスカートのベルトを緩めると、ハニを後ろ向きに体を少し起こして左腕をハニのお腹に当てると、右手をハニの口に持って行った。
「口に指を入れるから・・・・・・我慢しなくていいから吐くんだ。」
「き・・・・汚いよ。」
「汚くない。オレは医者になるんだから、こんな事なんともない。何も気にしなくていいから全部出せば楽になる。」
そう、それは自分自身にも当てはまる事だ。
自分のプライドなど気にしないで、全部吐き出せば楽になることは分かっているが、どう吐き出したらいいのか判らない。
スンジョが指をハニの口の奥にぐっと入れ、お腹に当てていた腕に力を入れると、苦しそうではあったがハニは胃の中の物を全部吐き出した。
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